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高島野十郎 里帰り展 美術講座 II 

久留米市の石橋美術館で開かれている『高島野十郎 里帰り展』の関連イベントの美術講座の第二段。
7月16日の多田茂治 氏「温石(おんじゃく)に帰りたかった野十郎」に続いて、7月23日、
福岡県教育庁社会教育課の西本匡伸 氏による講座「野十郎の作品をめぐって」を聴講してきました。
前回は会場に入りきれんくらい多かったので早めにでかけましたが、今回はそれほどでもありませ
んでしたよ。たぶん、新幹線関連イベントと重なったせいかな~、
JRには田中麗奈さんがこらしゃったけんですね・・・

受講したくても来ることができなかった方の為に、簡単に講座の一部をご紹介させて頂きます。
思い出しながらなので、多少違ってるところがあるかもしれませんが、ご勘弁ください。

石橋美術館 野十郎展2


高島野十郎発掘のきっかけとなったのは、1980年、福岡県立美術館(当時は福岡県文化会館)の
「近代洋画と福岡」展に出品された一枚の絵。野十郎の作品の中でも最大の60号「すいれんの池」
だった。その頃所蔵していたのは久留米市の靴メーカー「アサヒコーポレーション(旧日本ゴム)」
で、社長さんが高島家の縁戚であり、野十郎に描いてもらったものだそうだ。
これだけの大作があるのなら、他にも作品があるだろうと、福岡県立美術館で野十郎を取り上げる
ことになり、1985年に美術館に入られた学芸員の西本氏が担当となって調査を始める。

白いスイレンがポンポンと描かれ、写実的でありながら非常に幻想的、まるで時間が止まったような
不思議な情感をたたえた絵である。

すいれんの池こういう作家は珍しく、なぜ、これまで知られていなかったのか・・・
全くの無名、久留米でも知る人は少なく、わずか10行ほどの略歴から野十郎発掘の旅が始まった。とはいえ、無名であったがために所有者が変わらず、しかも限定的、没後10年ほどであったので関係者もご存命であり、たくさんの方のご協力を得られて作業をすすめることができた。




野十郎は明治23年、久留米市の造り酒屋「高島酒造」に生まれ、五男二女の四男、名は弥壽、字名は光雄。
彼の初期の作品には、光雄のMと弥壽のYを加えた署名があるそうだ。今度行ったらよぉ~く見てみよう。
西本氏は、調査の折のエピソードや、いくつかの作品について説明をしながら、野十郎の生き様や、
彼の絵の独特な情緒はどこからくるのか、絵を通して何を語りたかったのかを話されました。


野十郎は周りの者に余り自己を語らず、生涯独身であったのもあり、パッチワークのように断片的な
「人となり」しかわからなかった。妻や子がいたらもっと知ることができたかもしれない・・・

石橋美術館 野十郎展3「傷を負った自画像」「絡子をかけたる自画」「りんごを手にした自画像」「煙草を手にした自画像」。4枚の自画像が持ち込まれた時、初めて野十郎の心の奥底がわかった。ゴッホや岸田劉生の影響を受けたといわれる自画像は、自己を過剰なほど通した清貧な絵と比べて、単にきれいに描いているだけでなく、複雑な自我を持った精神のもだえ、宗教観や哲学的なものが内から出ている。野十郎は描くべき対象を画面の中心に捉え、『菊の花』などの静物画を見るとほとんどの花が正面を向いている。「作品を見ているようでいて見られている」、見よといわんばかりに「対峙」しているように迫ってくる、その不思議な面白さ、姿勢は全て自画像に通じる。

野十郎は、目に映ったものだけでなく、あらゆる可能性を思い浮かべ、写実の軸足を崩さず、その中に仏教や様々な思いを込めて描いた。


・写実の極地、やるせない人間の息づき____それを慈悲といふ

・花一つを、砂一粒を人間と同物に見る事、神と見る事

・月うかぶ空のまことのむなしくも 我が身のほどの思ひ知らるる  野十郎ノートから


月ろうそく

「月」は描くごとにシンプルになっていく。彼は、月そのものを描くのではなく月を通して闇を描いた。坂本繁二郎の「月」には華やかさがあるが、彼の「月」には厳しさがある。慈悲の写実。精密な絵を描いてきたからこそ、逆にシンプルで深い情感をたたえた月を描くことができた。

「蝋燭」は月の作品と同じように、光と闇を巡る仏教的な関心の中で生み出された。それらはコピーではなく、描くたびにろうそくを灯して描いた。
「蝋燭」の絵は個展に出ることはなく、ほとんど人に無料で譲られ、なぜ「蝋燭」なのか語ることもなく、誰も「蝋燭」なのか聞いてないという。野十郎と周辺の人々との関わりを思い知らされた。彼は決して人嫌いではなく、付き合った人は3世代にわたって繋がっている。



他にも、「子ども時代の兄弟写真と、水縄山にての写真」、長兄・宇朗、「恩賜の銀時計と恩師の懐中時計」、
「雨 法隆寺塔の修復」、「椿柑竹工房時代」など、時間を忘れるほど興味深い話が続きました。
これまで、野十郎の絵を見て漠然と感じていたものが、西本氏の講座によって確信へと変わり、
野十郎の絵を再び見るときには、また違った目で見る事ができるような気がします。

今でも野十郎の絵が次々に見つかっているそうです。
講座当日も「野十郎の絵を持っている」という情報が入ったとか。どんな絵が発見されるのか楽しみですね。
石橋美術館での、多田茂治 氏と西本匡伸 氏による美術講座を受講して、本当に良かったと思います。感謝。 

8月6日(土)は、高島野十郎 バースデー・コンサート、バースデーキャンドル点灯式があります。
※開催は終了しました

「高島野十郎 里帰り展」の案内と、石橋美術館へのアクセスなど  (posted by hotomeki)

コメントありがとうございます

  面白かったですね       | URL | emiko | 2011/08/04 * 編集 *

私も、聴講しました。良かったですね~
それで、思わず『福岡県立美術館』拝啓高島野十郎様展(8月31日まで)にも行って来ましたよ。西本氏の話に出てきた、野十郎の携帯イーゼルや、道具類を見ることができました。その筆の細かったこと・・・。西本さんには、まだまだ聞いてみたいことがありますね。今度取材しましょうか? 応えてくれるかな~?
それにしても、hotomekiさんは、克明にお話しを再現されていますね~。私なんか、自分が好きな部分しか覚えていないのに・・・・。

         | URL | hotomeki@管理人 | 2011/08/05 * 編集 *

emikoさん、お疲れ様でした。面白かったですね~!
克明にというか、自分の興味あるとこだけメモしててね、そのメモが断片的なものだから、
文章にするのは難しかったです・・・たぶん違ってるとこもあるかと。へへへ

私は前から野十郎の自画像が苦手でしてね~。
片山氏の肖像写真の優しい野十郎にだけご挨拶してました。
絵の前に立つと見透かされているようで、いつも目を合わせないようにしてたんですよ。笑
でも、西本さんの講座を聞いて、次はちゃんと対峙してこようと思いました。

>野十郎の携帯イーゼルや、道具類・・・
見れてよかったですね~、あれは確か、「水縄山にて」の写真でしたね。
後姿の野十郎の、なんともいえない雰囲気のある一枚でした。

絵画展に行くと、いつも写真目線で見てしまうので、それってどうなのかなと思ってましたけど、
写真=写実画として考えると、今回の西本さんの絵の解説はとても勉強になりました。
西本さんは「情緒」という言葉をたくさん使われてましたね。
私が野十郎の絵が好きなのは、そこらへんにあると、先生のおかげで確信しました。

私もお聞きしたいことがあるので、いつか直接お話させていただきたいものです。v-344

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