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2019年10月1日~11月30日開催の「秋のまち旅」ガイドを掲載しました。皆様のご参加をお待ちしてます。

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29. 筑紫大地震の痕跡 ブラ☆モリ久留米 古代編 ① 

2019久留米まち旅博覧会秋のまち旅 / 実施レポート 10/14

まち旅レポーター、朝倉2号です。

奈良時代に編纂された歴史書「日本書紀」の卷第二十九に次のような記述があります。

天武天皇七年十二月是月
筑紫国大地動之 地裂広二丈 長三千余丈 百姓舍屋 毎村多仆壌
是時百姓一家有岡上 当于地動夕 以岡崩処遷 然家既全 而無破壌
家人不知岡崩家避 但会明後 知以大驚焉

これは天武7年(西暦678年)12月に筑紫国で起こった筑紫大地震の被害を記述したもの。
幅約6メートル、長さ約10キロメートルに及ぶ地割れ ができた云々とあり、
発生年代と震源が特定できる日本最古の公式記録なんだそうです。

01_201910161130507d7.jpgこの地震を引き起こした水縄断層をたどるまち旅
「筑紫大地震の痕跡 ブラ☆モリ久留米 古代編」が、
さわやかな秋晴れの空のもと開催されました。
集合場所は久大本線御井駅前
じつはこの久大本線、水縄断層の真上に敷かれてるんだそうです。
「私たちが生きている間は大丈夫」ということですけどねぇw



02_201910161111477c1.jpg03_2019101611114811b.jpg今回ご案内いただいたのは、
ブラ☆モリといえばこの方、
地元の歴史愛好家モリさん と、
久留米市役所文化財保護課の小澤さん
ふたりで入念に下見を行い、
皆さんにどう見せるか議論を尽くしたとのこと。
まち旅がどう展開していくのか、期待が高まります。


04_20191016113638ac7.jpg05_20191016113640f15.jpg06_20191016113637dbd.jpg

御井駅前を出発したブラ☆モリ一行、
線路を横切り、住宅地内のゆるい坂をのぼり、到着したのは山川前田遺跡
平成4年の発掘調査で発見された断層、地割れ、噴砂、液状化などの痕跡は、
まさしく日本書紀にある「筑紫大地震」によるもの と推定され、
現在は「水縄断層」の名で国指定天然記念物となっているそうです。
断層による斜面や、折れ曲がったという谷を見ながら、
地震のすざまじさを感じる皆さんなのでした。

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続いて案内されたのは、神道遺跡
久大本線をくぐる道路工事の際、
断層でできた崖や、地割れのあとが確認されたそうです。
けっこう長い間工事してたと思ったら、発掘調査があってたんですね。

さらに、驚いたのはその西隣にある中谷川。
断層に沿ってクランク状に曲がっているんです。
まっすぐな川の流れが地震でずれた証拠がいまも残っているんですね。
しかも、その距離なんと50メートル
川の流れを覗き込む皆さん、もう驚くしかありません。

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次に向かったのは国道322号線沿いにある 味水(うましみず)御井神社
地震でできた断層崖のそばにある神社で、
境内にはきれいな水がこんこんと湧き出ています。
その上を久大本線の列車が通る断層崖は見上げるほどの高さ。
いつもは車で通り過ぎるだけの場所なんですが、
こんなとこにも筑紫大地震の痕跡があったとは~。
ちなみに、道路をはさんで反対側のカラオケ屋さんのあたり、
味水御井神社から水を引き、曲水の宴が行われていたとのこと。
モリさん曰く「いまも昔も歌をうたうとこですね」
偶然なんでしょうけど、おもしろい一致ですw

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さて、ブラ☆モリ一行は国道を斜めに横切る細い道を進みます。
道の左手には2~3mはあろうかという石垣が続きます。
じつはこれも断層崖
「断層崖に沿ってできたこの道は、1000年以上続く道なんですよ」
小澤さんのお話しを聞きながら歩いていくと、
突然ひらけたところに出ました。

ここはかつて筑後国を治めるため中央から派遣された「国司」が居住、執務した国司館があったところ。
発掘調査ではたくさんの食器が出土 したそうです。
「地方の役人に働いてもらうため、飲ませ食わせしたんでしょう」とのこと。
人間って昔も今も変わりませんねぇw
この周囲には当時のお役所である「国府」の跡がいくつも見つかっています。
久留米はその当時から筑後国の中心だったんですね。

 ※久留米の遺跡を歩こう「筑後国府跡」は → コチラ(久留米市役所)

で、日本書紀に筑紫大地震が詳細に書かれているのは、ここがポイント。

西暦663年に百済・倭国連合軍が白村江で戦い大敗。
唐・新羅連合軍侵攻の脅威に備えるため、防人(さきもり)烽(とぶひ)を配備、
水城や大野城、基肄城、久留米でも上津に土塁が築くなど、
日本の防衛に力を入れていた時期でした。

そんな時期に起きた筑紫大地震により
防衛体制が大きな被害を受けてしまったことを、
筑後国府が詳細に報告したというわけなのです。

何しろ国司館からちょっと歩いたところにすごい地割れですからね、
国司もやるときはきちんと仕事をするのですw

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その国府跡のひとつに建っている阿弥陀堂を訪ねました。
阿弥陀様への参拝もそこそこに、モリさんは太い木の根元で説明を始めます。
指差す根元に転がっているのは、何やら模様のついた瓦のかけら
ここで小澤さんがすかさず解説。
「縄目模様は奈良時代のもの、ワッフル模様は平安時代のものです」
え~~~、そんな時代の瓦がこんなところに~。
皆さん、かけらを手に取ったり、写真におさめたり。
それにしても、この二人、いいコンビです。

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そうそう、言い忘れましたが、この日の参加者の皆さは歴史好き。
モリさんも小澤さんもけっこう難しい話をしてるんですが、
ふつうについていくし、反対に質問したりしています。
歩いてるときも小澤さんに歴史の解釈を尋ねたりしてるし~。
中学校の日本史どまりな朝倉2号、どちらの話も感心しながら聞いてました。

というわけで、最後に八龍神社長者伝説のお話しを聞いて、
今回のブラ☆モリは終了しました。

白村江とか教科書だけの話だと思ってたけど、
思ってもみないところにふれることのできる古代の痕跡があって、
歴史を身近に感じたまち旅となりました。
私は相変わらず、昔の人と同じところを歩く自分にロマンを感じる「道派」ですがw

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